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『セキュリティ』を考えてみる。

『セキュリティ』という単語は、それを使う人によっていろんな意味合い、いろんなレベルに様変わりします。特に、コストとの兼ね合いが前面にでてくると、『セキュリティ』はその重要度や優先度がひどく曖昧になってしまうようです。

コストとのトレードオフが発生するならば、当然「誰を誰から守るのか」「何を何から守るのか」といったまず始めの命題が生じます。次には「なぜ守る必要があるか」を考えて、では「その為には、何と何までは犠牲にしてもよい」とかいった風に話がすすめばよいのですが、現状皆さんの多くはそんなことは考えないでしょうし、というよりは、『セキュリティ』が何か他のものと優先度を競うお題目だとか思っていない、というあたりでしょうか。

これは別段愚痴でも、ましてや嘆きでもありません。
コンピュータシステムの話をすると必ず(専門家同士ではなくとも)でてくるこの『セキュリティ』という単語の地位(?)は、実情この程度なんだろう、ということです。
ある意味では、これが健全なようにも思えるくらいです。

僕自身の日常的な習慣からいえば、コンピュータのセキュリティシステムに対してそれほど期待も重要性もあまり感じていない、というのが正直な感想です。
データの改竄や、データを盗んで悪用しようとする人たちへの心配はよくわかりますが、では手書き情報ならその心配はないのか?、とか何か盗んで得をするようなデータがどこかにあるのか?とか考えると、『セキュリティ』にコストが上乗せされるなら、それならいらない、と即答してしまうでしょう。

ところがここに『来るべきネット社会』という不可思議なしかし不可避な命題があります。
匿名でネットを自由に徘徊し、他人に迷惑を「悪意なく」掛けてしまう人達の登場です。
せっかくのネット社会でありながら、無防備なままで外部のネットに接続するのはとても危険な事態を招くおそれがある、ということをこれからはいつも頭にいれておかないといけない社会にどうもと突入してしまった気がします。